こんにちは、モカリーナです。
この記事は大分県竹田市城下町のおススメスポット8点の紹介です。
大分県竹田市にはNHKで紹介された、日本最強の城「岡城跡」があります。
この岡城跡と瀧廉太郎は深く関わり合いがあります。どんな関わりがあるかご存知でしょうか?
瀧廉太郎の「荒城の月」の歌詞にある荒れ果てた城がこの岡城です。瀧廉太郎が子供時代をこの竹田市で過ごし、城跡で遊んだ影響もありこの唱歌が生まれました。
竹田市の中心地に位置する城下町のオススメスポットを紹介します。
大分県竹田市城下町のオススメスポット8点
竹田は日本の8大布教地の1つで、南蛮から渡来した宣教師たちの活動拠点になっていました。
岡城跡
岡城は中世は志賀氏の居城であったが、1594年に岡藩主中川氏の居城となりました。
中川氏は明治の廃藩置県に至るまで、本丸・二の丸・三の丸・西の丸などを完成させ統治しました。
瀧廉太郎の「荒城の月」が有名になり、荒れ果てた城のままでは忍びないと人々から声が上がり、今では公園として一般公開されています。
瀧廉太郎の銅像
岡城二の丸跡にある瀧廉太郎の銅像。
滝廉太郎は竹田では楽唱とされています。
廉太郎を偲んで、毎年10月には全国高校独唱コンクールが開催されています。
<廉太郎の作曲した歌>
花・納涼・秋の月・雪・箱根八里・お正月・はとぽっぽ
扇森稲荷神社
扇森稲荷神社は通称「こうとうさま」と呼ばれています。
御祭神
- 猿田彦命 菅原神
- 保食大神 高龗神
- 大宮女命
この神社には伝説があります。
お産に苦しんでいた若い女を助けた老婆。次の日老婆にお礼の鯛が届けられた。
その鯛は殿様の献上品だったため、老婆は盗人として打首になった。
ところがその首は狐でした。若い女は狐であり、老婆の身代わりとなった。
人々は狐の恩返しという真心に深く打たれ、狐の霊をこの神社に祀ったと伝えられています。
赤い鳥居が数多くある神社には、お稲荷さんがあちこちにお祀りされていました。
広瀬神社
日露戦争で戦死した軍神第一号の海軍中佐の人格と報国の精神を敬仰する人々により、廣瀬武夫の主祭神として建てられました。
ここには1627名柱が合わせて祀られています。
敷地には竹田の町を見渡せる展望台があり、廣瀬武夫と陸軍大臣阿南惟幾の記念館があります。
キリシタン礼拝堂
この地にはたくさんのキリシタンがいました。岩壁が多くて、容易に近づくことのできない地形が秘密を守った一因です。
武家屋敷通り
江戸時代は、この通り13件の武家屋敷がありました。時代劇のセットになりそうな一角です。
独特の造りや壁、門はとても風情があり素敵でした。
瀧廉太郎記念日
12歳の廉太郎は、家族と一緒に竹田町に転居し、2年4ヶ月の日々をこの屋敷で過ごしました。
台風のため入れませんでした。
廉太郎トンネル
このトンネルの正式名称は「溝川トンネル」といいます。
明治中期頃に掘られた手掘りのトンネルです。
旧竹田荘
1000円切手富士図の作者、田能村竹田の生家。
江戸末期、田能村竹田は藩医の家に生まれました。
台風のため入れませんでした。
まとめ
大分県竹田市はとても小さな町です。
小さいながらも見る所があちこちにありました。
日本最強のお城に岡城跡が選ばれ、町は盛り上がりをみせています。
四季折々の景色が美しいこの城も、廃藩置県により城が取り壊され荒れ果ててしまいました。
瀧廉太郎は子供時代にこの城跡で遊び、「荒城の月」を作曲、発表されました。
“昔の光いまいづこ”と歌われたように、廉太郎も荒れ果てた城をとても残念に思ったことでしょう。
この岡城跡を記念式典で大手門を張りぼてで作ったそうですが、簡易的な物だったため保存する事は許可されませんでした。復元された建造物があるとガラッと雰囲気が変わります。
岡城跡を沢山の人に知ってもらい、復元された姿を見てみたいです。
是非機会がありましたら、足を伸ばして見に行ってください。
では明日また、モチャー イナ(*’▽’*)!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
モカリーナより♡
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